プロフィール

プロフィールです。


長文ですが、もし、どんな人だろうと興味を抱いていただけましたらごらん下さいませ。

名前:小柳津 嘉直
ニックネーム:oya と呼んで下さい。
性別:男性
顔:自分は分かっておりませんが、カピバラに似ているとよく言われます・・・
誕生日:S49 9月18日
血液型:A型
出身地:愛知県
趣味:酒、読書


◆◇略歴◇◆

生まれたのは愛知県。

裕福では無いけど、ごく一般的な暮らしの出来るサラリーマン家庭でした。

兄弟は3人兄弟で、その中の一番上。

少し変った家族体系で、父の兄夫婦が一緒に生活をしておりました。
父とその兄はかなりの年齢差があったので、僕は「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んでいました。

また、田舎だったので、様々な家畜を飼っており、「犬」「ネコ」「兎」「鶏」「インコ」、さらには「山羊」といった様々な動物と生活をしてました^^

父は大きな企業の工場に勤めており、僕が小学生になるくらいまでは、三交代(朝勤、夕勤、夜勤)の勤務形態、小学校に上がったくらいから 8時~17時の勤務となり、残業がほとんど無い会社でしたので、毎日家族と顔を合わせることの出来、家族が揃って晩御飯を食べられる、今考えると幸せな家庭だったと思います。

中学校、高校までを卒業し、私は大学には進まず父と同じ会社に就職をしましたが、一年で辞めてしまいました。

父と一緒の職場である為、10年後、20年後の給料・生活レベルが分かってしまい、それが自分自身の夢とはかけ離れたもので、会社に対して夢を感じられなくなったこと、また、自分がやりたい事に対して挑戦をしたいという気持ちが強く芽生えた為です。

逆に、工場で約40年もの間働き続けた父の事は本当に尊敬しています。

きっと父にも思い描く夢はあったのでしょうが、家族を守る事を優先にして、工場での勤務を続けていったのでしょうね。

結局定年まで工場で働き続け、現在は退職金と年金でセカンドライフに入っています。

両親を見ていると、現在とても楽しく幸せに暮らしているように感じます。

近々新しい家を建築するらしく、わくわくしているようです^^

現在の社会状況で、終身雇用を全うし、ある程度の纏まった退職金と年金で老後を暮らしていくという考え方が通用できるのかどうかは疑問ですが、両親の世代であれば正しい選択肢であり、数十年間低賃金でも耐えて勤務し続けられたから現在の幸せがあるのだと思います。

さて、僕は工場を退社後、横浜に引っ越してプロボウラー(ボウリングのプロ)を目指す事になりました。

工場に勤めている頃に、仲間と一緒にボウリングをやって遊ぶ機会が増え、ボウリング場に通っていくうちに、俺はプロになって成功するんだ!という気持ちが芽生えたんですね。

ちなみにマイボールを購入して、3ヵ月後の選択でした(笑)

行動は早い方だと思います。。

ちょうどその頃、ボウリング雑誌を読んでいると、横浜のボウリング場で「プロボウラー研修生募集」という記事を見かけたのです。

これしかない!

と感じた僕は、早速応募して、研修生になる為のテストを受ける事になりました。

全国から研修生になりたい方々が集まってきて、確か 50人くらい集まってきた思い出があります。

僕はボウリングを初めて3ヶ月のど素人で、僕よりもボウリングが上手な人は沢山いましたが、運よく合格し、横浜にてボウリングの仕事をしながらプロボウラーを目指す体制が整えたのです。

たった3ヶ月間ボウリングをかじった程度で、プロになると決め行動に移したことは今考えると本当に無謀だと思いますが、あの時決断が出来たからこそ、現在の自分があるのだと思います。

そこで決断が出来なければ、きっと今も工場で勤めており、グチグチと夢だけを語っていたのかもしれませんね。

ボウリング場で働きながら、自由な時間は無料で好きなように練習をしていて良いという、最高の条件を手に入れた僕は、横浜に引っ越すと同時に毎日約20ゲームずつ毎日毎日練習し続けました。

ちなみにその頃のお給料は10万円程度だったと思います。

そこから家賃や光熱費を引くと、後は食費程度しか残らないようなお給料でしたが、毎日ボウリングが出来、夢に向かって走っていくことが出来るということが最高に幸せで、お給料が多い少ないは全く気にもなりませんでした。

プロボウラーの先生や先輩達からも沢山のアドバイスを頂き、数年後、無事プロテストに合格する事が出来ました。

プロボウラーとしての生活では、試合に出たり、テレビに出演したり、他のボウリング場に呼ばれてプロチャレンジをしたり。

予定が無い日は、ボウリング場内にあるお店(ボウリングのボールを販売するお店)で働きながら、時間があるときは練習を続けるという日々でした。

プロボウラーとして大会で優勝したり上位に入賞して賞金を沢山もらうという華やかな生活は出来ませんでしたが、非常に充実した日々でした。

しかし、数年経つと、別の不安を感じるようになりました。

スポーツ選手は全て体が資本の仕事です。

将来家族を持ちたいと考えた際、本当にこの仕事を続けられるのかどうかという不安です。

自分だけの生活であれば何とかなるかもしれませんが、家族を持った場合、自分の夢だけの為に、家族に苦労をかけるということは許せません。

特に怪我や病気でボウリングが出来なくなってしまった場合は、無収入となりますから。

その当時25歳で、今後の事を考えるには丁度良い時期だったのかもしれません。

30歳を超えてしまうと、就職も難しくなってくるでしょうし、就職できたとしても・・・という気がします。

ただ、自分の夢を捨てることにも抵抗がありました。

悩んだ結果、ボウリング人生には終止符を打つことに決めました。

いえ、終止符を打つのではなく一旦休止という形をとり、将来ゆとりと時間が出来た際に趣味として楽しんでいこうという考えに切り替えました。

ですので、現在でもプロライセンスは毎年更新しています。


さて、ボウリング人生を一旦休止し、僕は派遣として企業に勤めることになりました。

派遣の道を選んだのは、ボウリング人生は諦めたものの、正社員としてサラリーマンになることに対しての抵抗が抜け切れず、派遣として様々な企業を回り、まずは自分のビジネススキルを高める事に専念したいと考えた為です。

そして26歳の4月、現在もおじゃまさせて頂いている大きな企業に派遣で勤務することになりました。

2008年4月現在で8年目に突入ですから、本当に長い間お世話になっています。

この企業で、自分にとってビジネスの恩師とも言える上司に出会いました。

その上司はサラリーマンですが、仕事の事はもとより、企業のあり方、そして人としてのあり方など、私に無い知識・考え方を教えてくれました。

また、上司を見ていると、それまで感じていたサラリーマンという職業に対しての抵抗自体恥じるべきものであり、自分自身の無力さと傲慢さを切に感じ、この上司の下で、一から勉強しようと決めました。

しかし、会社の仕組みを見ていると、やはりここで一生という気持ちにはなれず、ここで学んだことを生かして将来自分のステージを作りたいと考えるようになりました。


さて、今から約3年ほど前、私のいる部署に私より 5歳ほど年下のネットワーク SE が他部署から引き抜かれてきました。

彼に対する第一印象は、

「チャラい・・・。」

というイメージ。

でも、とても大きなオーラを感じる方でした。

そのチャラいイメージであるが、大きなオーラの持ち主が、現在の GFD 社長である横溝です。

横溝と付き合いだしたのは、彼から僕に接触してくれたことが切欠でした。

偶々僕の運営しているホームページの URL を誰かから聞きつけて、そのホームページを見て、自宅のメールアドレス宛に感想のメールをくれたのです(笑)

なぜ直接ではなくメール(しかも自宅の)なんだろうと思いましたが、それを切欠に会社でも色々と会話するようになりました。

また、偶々仕事で大阪に一緒に行くことがあり、新幹線の中で仕事についての会話をし、意気投合して一晩飲み明かしました。

帰りの新幹線の中では、「一緒に何かやろう!」という話に。

翌日からは、会社にいても休憩時間になると、横溝と仕事の話を毎日し続けました。

その後、横溝の仲間である降旗、横山と知り合い、4人で GFD を立ち上げることになり現在に至ります。

当ブログでは、GFD の役員として、また一個人として、日々の仕事や生活での出来事、また考えなどを記載していければと考えております。

ご愛読の程、どうぞよろしくお願いいたします^^


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コメント(2)

わー。
プロボウラーだったんですかw
うちの父も鈴鹿サーキット辞めてこっちにきてからしばらくは、ボウリング場で働きながら投げてたんですよ~!
なんか親近感★
何故辞めたかっていうと、向こうにいる限り母の親が結婚を許さなかったから・・・らしいです。
3人も娘がいるんだから、一人くらい遠方でも良かっただろうにねぇ(^_^;)

それにしても、もっとぼのぼのしたお顔だと思っていたのですが、きりり系ですねw

亨珈さん

はい、プロボウラーでした^^
といってもヘボプロでしたけどね(汗)
ボウリングって娯楽って雰囲気がありますので、それが許されなかったのでしょうかね~。。
もし、そのままプロになっていたら、亨珈さんもプロになっていたりとか!

> それにしても、もっとぼのぼのしたお顔だと思っていたのですが、きりり系ですねw

性格は、きりりとし損ねておりますよ(笑)

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名前:Yoshinao Oyaizu

誕生日:S49 9月18日

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このページは、oyaが2008年4月23日 14:48に書いたブログ記事です。

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